最近疑問に思っていることです。
心理尺度を作るときに因子分析を用いるのはいいのですが,
因子分析は1度だけでいいのかどうかという問題です。
この言い方だと誤解を招きそうですね・・・
うまく説明できないのでダメなのですが・・・
何かの尺度を構成するとします。
まず,項目を集めてきて,調査を実施し,
因子分析にかけて因子を見つけ出すという
作業が行われます。
で,理論的にも内容的にも「○因子で解釈
できそうだ」ということになって
下位尺度が構成されるわけです。
これは通常の尺度構成の
プロセスだと思います。
で,ここからが問題なのですが,
通常の尺度構成はここで終わって
しまうんですよね。
何が言いたいかというと,
さらに下位尺度ごとに因子分析を行って,
1因子性を確認する必要はないのか?
ということです。
有名な○ig Five尺度も60項目まとめて因子分析をすると
ほぼ想定される5因子が出てくるのですが,
下位尺度のみで因子分析をかけると
2因子になってくる下位尺度がいくつかあります。
図で書くと
○ig Five
/ | | \ \
factor1 factor2 factor3 factor4 factor5
/ \
fac1_1 fac1_2
という感じです。
これっていいんでしょうか・・・??
下位尺度ごとでは1因子性が
成り立っているべきではないでしょうか。
とはいえ,実際の所よく分かりません。
ご意見等お待ちしております。
1つの因子をさらに下位因子に
分解できる場合,
もとの因子は1因子性が成り立っていると
言えるのか?
おもしろい問題ですね。
で,私は
「1因子と言っても良いのでは」
と思いました。
この問題を見て脳裏をよぎったのは,
「豊田秀樹 2002 項目反応理論事例編」
の記述です(p.11〜13)。
数十項目で1因子とする場合と,
5項目程度でそうする場合とでは,
1因子の意味合いが異なる。
前者は複雑な雑多な「1因子」で,
後者は単純なピュアな「1因子」である。
といった内容です。
確かに,30項目で1因子という尺度は
広範なことを聞いているし,
3項目とか5項目とかいうものは,
1因子として名称もついているけれど,
ごく狭い範囲しか聞いていない
感じがします。
さて本題,例にあるBig Fiveですが,
1因子12項目で,それを下位因子に分けると
項目数はそれぞれ一桁ですね。
これは「単純な」1因子ではないかと
(さらに分解できるかもしれないけれど)。
それで,分ける前の12項目で構成される
因子は「(相対的に)複雑な」1因子だと。
1因子を,下位因子をもたない最小単位
として捉えるか,あるまとまりをもった
ものとして捉えるか。
私は後者で良いと思っています。
そのまとまりに広範な意味合いと
局所的な意味合いのどちらを
求めるかによって,1因子とする
基準を変えれば良い。
広範な1因子ならば,それがさらに
分解できる可能性もあるでしょう。
思いつきですがこんな感じですね。
コメントありがとうございます。
豊田先生の本に記述があったのですか。
入門編は持っていますが,事例編は購入していません(^^;)
>数十項目で1因子とする場合と,
>5項目程度でそうする場合とでは,
>1因子の意味合いが異なる。
>前者は複雑な雑多な「1因子」で,
>後者は単純なピュアな「1因子」である。
その通りだと思います。
なぜ下位尺度の1因子性ということを
言い出したかというと,IRT分析をしていて疑問に
思ったからです。
Big Five尺度のある因子(12項目:逆転項目含)に対して
PARSCALEで,Generalized Partial Credit Modelを
適用したところ,項目パラメタ推定の際の
収束が著しく悪くなりました。
必ずしも1因子性が成り立っていない(怪しい)ために
収束が悪くなったという訳ではないのですが・・・。
経験上の話ですが,少なくとも影響は与えていると考えています。
>さて本題,例にあるBig Fiveですが,
>分ける前の12項目:「(相対的に)複雑な」1因子だと。
>分けた後それぞれを:ピュアな因子
その通りだと思います。
一番建設的(生産的な)な理解ですよね。
>1因子を,あるまとまりをもった
>ものとして捉えるか。
>
>私は後者で良いと思っています。
>
>そのまとまりに広範な意味合いと
>局所的な意味合いのどちらを
>求めるかによって,1因子とする
>基準を変えれば良い。
遠藤さんのご意見に付け足させて頂くとすれば,
分けた後の因子が何を指しているのかというのも
問題(判断材料)だと思います。
まぁ,スクリープロット等でどの程度であれば
一因子と見なすかというのも問題ですが・・・。
数多くある心理尺度で,尺度構成の段階でこういう点も
ちゃんと確認・検討されているんでしょうか・・・
少し話がずれますが,
Big Fiveの場合,逆転項目と非逆転項目で2因子が抽出されてきます。
個人的にですが,
逆転項目と非逆転項目で分かれるというのは
気持ち悪いんですよね。
この場合,リッカート法の逆転項目の処理の妥当性
が怪しくなるような気がしています。
宣伝:
逆転項目に関して,今年の日本心理学会の大会で
ポスター発表することになっています。
脇田さんが1因子性の問題を提起した
背景を聞くと,私のコメントでは
ズレている部分があったようです。
また,自分の記述を読み返してみると,
何か変だぞという部分が出てきました.
もう少しお付き合い頂ければと思います。
まず,因子をさらに分解して抽出されたのは
逆転項目の集合と非逆転項目の集合
だったのですね。
普通,両者は同じ特性を測定するものとして
作成されているはずですよね。
この前提が満たされていると仮定して,
それにもかかわらず
因子として分かれてしまうのは,
「表現形式の違い」が
「一貫した反応の相違」を
生じさせていると解釈できるでしょう。
>逆転項目と非逆転項目で分かれる
>というのは気持ち悪い
と私も思います。
これは意味的に解釈できるものとして
分かれているのではなく,
response bias の一部によるもの
でないかと個人的に考えています。
私が興味を持っているテーマが
この response bias なんですが,
卒論でやるにしても中々難しい。
以上蛇足でしたが。
先のコメントでは,因子を分解して,
複数の「解釈可能な」下位因子が
得られたという想定で記述していました。
ここが,ズレていたという点です。
次は,何か変だぞ,についてです。
少数の項目からなる1因子尺度が
測定している構成概念は
単純な・ピュアな内容である。
多数の項目からなる1因子尺度が
測定している構成概念は
複雑な・雑多な内容である。
という記述を豊田先生の本から
持ち出してきたわけですが,
この「複雑な・雑多な1因子」
というのが ? です。
私は当初,とある複雑な因子の背後に
複数のピュアな下位因子があるのならば,
「5種類の下位因子を5項目ずつもってきて,
合わせて25項目の雑多な因子が完成」
などと単純に考えていたのですが,
この25項目は雑多ではあるけれど,
因子分析すれば5因子が抽出されますよね。
では,最初から25項目で1因子というのは
どういうことなのか。
ピュアな下位因子すべての要素が
項目1つ1つに含まれているのなら,
各項目がもとの雑多な因子を
測定していることになり,
全体として1因子となる。
などと妄想しましたが,
現実的にそのようなことが可能でしょうか。
実際に作成された
数十項目の1因子尺度って一体・・・。
先の妄想によれば,
1因子という場合,
下位因子は認められない
ことになりそうですが・・・。
(先日の立場とは逆です)
私がかえって深みにはまっています。
補足です。
今回の「1因子」という言葉は,
IRTの使用を念頭において,
因子分析において1因子性が認められる
という意味で使っています。
振り返ると,「まとまり」という意味での
「1因子」はかなりアバウトでした。
>脇田さんが1因子性の問題を提起した
>背景を聞くと,私のコメントでは
>ズレている部分があったようです。
いえいえ。僕の書き方がよくなかったですね(^_^;)
この議論はBig Five(逆転項目)での話にするか,
そうではなく一般的な話にするか分ける必要が
ありそうですね。
今回はBig Fiveの例を念頭に考えてみようと思います。
>普通,両者は同じ特性を測定するものとして
>作成されているはずですよね。
はい。
60項目を因子分析して5つの因子に分けているので
12項目は同じ特性を測定していると考えるべきだと
思います。
>これは意味的に解釈できるものとして
>分かれているのではなく,
>response bias の一部によるもの
>でないかと個人的に考えています。
僕もそのように考えています。
僕の研究では評定尺度の間隔に注目して
この点に関する考察をしています。
あと,少し前に,fprで堀先生がネガティブ因子と
ポジティブ因子という言い方で
同様のことを説明されています。
http://mat.isc.chubu.ac.jp/fpr/fpr2004/
の2629の記事です。
> 私が興味を持っているテーマが
> この response bias なんですが,
> 卒論でやるにしても中々難しい。
> 以上蛇足でしたが。
そうでしたか。
社会的望ましさ,中心化傾向,極端反応,
反応歪曲などあると思いますが,
どれも真の状態が分からないだけに
難しいですね。
修論では社会的望ましさを扱おうとしたのですが,
挫折?しました。
>この「複雑な・雑多な1因子」
>というのが ? です。
この点に関して僕の解釈は,
こんな感じです。
例えば,
「社会的スキル」という因子があるとします。
これが「複雑な・雑多な1因子」です。
通常,社会的スキル尺度といった場合は
自己提示能力,外向性など様々なスキルを
測定するような項目が用意されるはずです。
そして社会的スキル尺度の中に含まれる
「自己提示能力」「外向性」などを測定しようとしている
数項目ずつの項目がピュアな(下位)因子である。
つまり,上位因子(社会的スキル)でも1因子と解釈可能だが,
さらに細かく見ると下位因子がある。
(したがって,IRTを適用する場合には・・・)
というのが,豊田先生の記述だと思うのですが・・・。
>私は当初,とある複雑な因子の背後に
>複数のピュアな下位因子があるのならば,
>
>「5種類の下位因子を5項目ずつもってきて,
> 合わせて25項目の雑多な因子が完成」
>
>などと単純に考えていたのですが,
>この25項目は雑多ではあるけれど,
>因子分析すれば5因子が抽出されますよね。
そうですね。完全にバラバラなもの(構成概念)
を持ってこればそうなってしまいます。
>では,最初から25項目で1因子というのは
>どういうことなのか。
おそらく,先ほどの例のように
5因子間の相関が高い場合に
全体で見れば1因子ということでしょう。
>私がかえって深みにはまっています。
今回のご意見を聞かせて頂く限り
おそらく遠藤さんはボトムアップな考え方を
されているのではないかと・・・。
通常,因子分析を説明する際には,
各項目の背後に因子を仮定する というボトムアップ的な
考え方によると思います。
先の僕の例やBig Fiveの議論は,
既に因子があって,
それが1因子はず(1因子であって欲しい)なのに
複数の因子に分かれてしまう
というトップダウン的な考え方をしていると思います。
●何となくですが,この考え方の違いが
この疑問を生んだような気がしてきています。
尺度作成者:ボトムアップ
脇田 :トップダウン
このような議論するのは楽しいですね。
(なかなか大学ではできません)
考えなければならないことの
幅を広げすぎてきましたかね。
それで大いに混乱してしまったと。
Big Fiveの事例に一旦戻ることにします。
60項目全体としては,性格特性を測定
するためのものであると。
これ自体は,超雑多と言えるでしょう。
で,それを5因子に分割して
各々を○○性としている。
これはある程度雑多なものでしょう。
ここからですが,
とある○○性の背後には,
より範囲を狭めた単純な
(研究者の目には見えていないかも)
下位因子が潜んでいる可能性がある。
ただ,名称が区別されるものであっても
下位因子同士が
類似したふるまいを示すのであれば,
因子分析でも1因子となるでしょうし,
それらは○○性として括っても
問題はないと。
(理屈上でもIRT適用上でも)
問題になる場合とは,
○○性を因子分析したときに,
�@複数の内容的に解釈可能な
下位因子が抽出され,
因子間相関も高くない。
�A項目内容以外の要因,
つまり response bias により,
複数の下位因子が抽出される。
思いつくのはこれぐらいですが。
�@は起こるものなのか大いに疑問です。
(もちろん,Big Five の○○性を
因子分析したときに)
脇田さんの場合は�Aですね。
○○性を測定する
逆転項目因子と非逆転項目因子が
抽出されただけであって,
ほとんど関連のない複数因子が
出てきたというわけではない。
○○性1因子としてまとめるのは
理屈上問題はなさそうです。
しかし,IRTを適用するとなると
大問題であると。
理屈の上での1因子性と,
分析の上での1因子性とでは
その見方・重要性が変わってくる
ということでしょうか。
以上が,これまでの議論を自分の中で
整理するために記述したものです。
さて,話は変わりますが,
尺度構成の現状について思うところを少し。
尺度とするための統計的手法や
ワーディングの注意点などが
今やマニュアル化されています。
それは先人の研究の賜物,
評価されるべきことです。
ただ,
どんなに項目内容が構成概念を
反映するものであっても,
どんなに bias を抑えるよう
注意して作成されたものであっても,
どこかに歪みは生じてしまう。
逆転項目かどうかでこうも違うのは
その典型でしょう。
程度副詞を一つ文章に入れるだけでも
反応は変わってくるでしょうし。
歪みが避けられないものであるとして,
それを事後的に評価し対処する手法が
開発されてきたかというと,
その辺のマニュアルには書かれている
わけがない。
繰り返し検討され,実用的評価が定まった
尺度ならいざしらず,
簡便な方法で作成された尺度から
得られたデータに対して
どれだけの信頼を置いて良いのか・・・
歪み歪みと神経質かもしれませんが,
それが多少の影響なのか,多大な影響なのか
その判別すらできないことに
怖さを感じてしまいます。
(少しではなかったかな)
>このような議論するのは楽しいですね。
>(なかなか大学ではできません)
楽しい(主観的判断ですが)
ことに加え,重要であるはずなのに,
周囲の反応はよくないですね。
脇田さんの周囲でも,
院生であってもそんな感じですか?
現象の理論的考察もよいのですが,
それを裏付けるための道具でもある尺度,
その精度を再考することも
不可欠だと思うのですが。
>問題になる場合とは,
>○○性を因子分析したときに,
>
>�@複数の内容的に解釈可能な
> 下位因子が抽出され,
> 因子間相関も高くない。
>
>�A項目内容以外の要因,
> つまり response bias により,
> 複数の下位因子が抽出される。
>
>思いつくのはこれぐらいですが。
そうですね。
>�@は起こるものなのか大いに疑問です。
>(もちろん,Big Five の○○性を
> 因子分析したときに)
>脇田さんの場合は�Aですね。
�@があると面白いですよね。
(ただ単に興味ですけど・・・)
ただ,�Aの結果�@が起こることも
あると思います。
>理屈の上での1因子性と,
>分析の上での1因子性とでは
>その見方・重要性が変わってくる
>ということでしょうか。
分析の方の1因子性は切実だったので,
このようなことを思ったわけです。
>尺度構成の現状について思うところを少し。
>
>尺度とするための統計的手法や
>ワーディングの注意点などが
>今やマニュアル化されています。
>
>それは先人の研究の賜物,
>評価されるべきことです。
確かに先行研究でなされていますが,
それほど多くないのではないでしょうか。
その中で僕が把握している(目標にしている)文献は,
続有恒,村上英治 1975 心理学研究法9 質問紙調査
東大出版会
です。
このシリーズは他にもいい本が多いです。
あとは
岩脇三良 1973 心理検査における反応の心理
日本文化科学社ですね。
海外文献も含めて尺度構成に関しては
1970年代に集中して研究されているようです。
最近の物はほとんどないと思います。
>程度副詞を一つ文章に入れるだけでも
>反応は変わってくるでしょうし。
僕の研究では明らかに変わってきます。
(まだ未発表ですが・・・)
>歪みが避けられないものであるとして,
>それを事後的に評価し対処する手法が
>開発されてきたかというと,
>その辺のマニュアルには書かれている
>わけがない。
比較的最近?出版された,
心理学研究マニュアル 質問紙法
を見ても1970年代から進んだという印象は
ありませんし。
ただこのような尺度に関しては
心理学よりも医学分野でかなりシビアに
検討されています。
>繰り返し検討され,実用的評価が定まった
・
・
・
その通りですね。まったく同じ考えです。
因子分析が簡単にでき,尺度作成が容易になることで
尺度が氾濫しているといってもいいのではないかと・・・
(僕はあの尺○集というのが大嫌いなのです(笑))
>脇田さんの周囲でも,
>院生であってもそんな感じですか?
最近?僕の発言もあって気にしてくれる
院生が多くなった気がします。
ただ,現実問題としてこのようなことを
考えていると研究ができなくなってしまう
のも事実だと思います。
(何人が犠牲になっていることか・・・)
実際,難しいところですね。
****
ここからはかなり理想論なのですが。
分業というわけではないのですが,
方法論的なことを考える側と
それを用いて発展的な内容を扱う側で
うまくやっていけるといいと思っています。
あと修論を基にした論文が10月に
出ることになっています。
この時にどんな反応がされるのか・・・
無視されるのか,それなりの反響?が
あるのか・・・
どっちだろう
>ここからはかなり理想論なのですが。
>分業というわけではないのですが,
>方法論的なことを考える側と
>それを用いて発展的な内容を扱う側で
>うまくやっていけるといいと
>思っています。
個人的には,分業とか役割分担よりも,
連携という言葉が好きです。
(いえ,単なる言葉遊びです)
問題が複雑化すれば,個人の守備範囲で
カバーしきれなくなるのは当然。
自身の能力をさらに向上させるのは
大変であり,かつ限界がある。
目的は同じながらも
守備範囲の異なる者同士で連携する
という方法でも大きな仕事ができる。
尺度を作るにしても,
構成概念を十分に把握している者と
統計的手法に精通している者との
連携というように。
>院の同級生と共同で
>(というか無理矢理売り込んだ),
>尺度を作っています。
という脇田さんの実践例は
見習いたいところです。
****
もはや当初の1因子性に関する
話題とは無関係になっとりますが,
>僕は心理測定に関して偏った?
>考え方を持っています。
と仰っていたことについて,
私は,厳格で誠実な態度であると
判断しています。
こういう考え方をする人がいる
ということに感激でしたね。
自分の中では,
脇田さんはかなりの注目人物と
なっています。
今回に限らず,
その他の機会でも意見交換ができたら
と思っています。
講義や自学習とはまた違った
勉強の形態だな,と。
得るものが多いと実感しています。